『ウデリ』について
父から聞いた話です。
「自分の曽祖父(名は嶺澤と言う)は、数え年12、3歳の頃『ウデリ』として名瀬まで配達をした事がある。早朝家を出、翌日夜名瀬に着いた」
というもの。
『ウデリ』というのは今の郵便配達人のような物らしいのですが、職業というよりは大人になるための通過儀礼的なものだったらしいです。
ちなみに嶺澤さんは生年月日は不明ですが、その子供達は明治中頃の生まれですので恐らく幕末ごろの生まれだと思われます(私の高祖父にあたります)。配達をしたのは明治10年前後でしょうか。
『ウデリ』をネットや『奄美生活誌』などで調べるもそれらしいものは見つからず。
一つだけ、片倉輝男『奄美民謡島唄集』(南方新社 2010.3.10)シマ唄、野茶坊節の解説のページに、「『おでり』といって今でいう郵便配達夫の…」
という一文がありました。
『ウデリ』『おでり』、同じものでしょう。
ちなみに本の中では、大正時代、大和村津名久村の伊久実主(いぐざねしゅ)が、津名久役所から赤木名役所に配達した時、歳を取った野茶坊を目撃した、というものでした。
私の高祖父、嶺澤は名瀬のどこの誰に何を配達したのかは残念ながら不明なようです。
『ウデリ(おでり)』、昔日常的に使っていた言葉なのかどうか、気になるところです。
それにしても山深い奄美の南部から小学生位の少年が配達とは想像もつきませんσ^_^;